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Channel: │昭和女子大学 人間文化学部 歴史文化学科
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歴文ってどんな学科?―お役立ちリンク集―

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歴文ブログには時系列順で記事が並んでおりますので、順番にご覧いただくと全ての記事がご覧いただけますが、下記に示したリンク集もご活用下さいませ。

☆歴文に在籍している先生は?

こちらをご覧くださいませ。リンク先からblogボタンを押していただけると、その先生に関するブログ記事をまとめて読むことができます。

☆授業紹介

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歴史文化学科のカリキュラムの特徴は、いわゆる歴史(日本史・西洋史・東洋史)だけではなく、美術史・芸能史・服飾史そして仏教文化史、民俗学や地理学、さらには考古学や文化財保存など、歴史文化にかかわる幅広い学びができることにあります。

そうした多様なカリキュラムのなかから、いくつかをピックアップして、この歴文ブログにも授業紹介記事をあげています。是非ご覧下さいませ。

歴文のカリキュラムはかなり自由度が高いです。歴文生は下記の全ての授業を選択することができますよ!

「歴史・地理」分野

歴史学概論( ・) / 日本近現代史料解読 / 近代女性史文献講読 / 西洋史 () / ヨーロッパ歴史演習(ドイツ) 2015年度() / ヒエログリフ入門

「美術と民族の文化」分野

日本美術史基礎 / 文献取扱技能基礎 / 伝統文化の現場() / 歴史文化特論~寺社縁起の世界~ / 民俗調査法 / 伝統芸能実習() / ヨーロッパ歴史演習(スペイン・フランス・イタリア) 2014年度(

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「考古・文化財」分野

文化財保存修復学基礎 / 環境考古学 / 文化財保護行政論 / 海外考古学実習(

学芸員関係

博物館実習Ⅰ

その他の科目

歴史文化基礎  / 歴史文化と社会  / 卒業論文(卒業論文発表会

ほかにどんな授業が開講されているのか知りたい場合は、公式デジタルパンフレットの40頁をごらんくださいませ。

なお教員の異動や年度により授業内容に変更があることをご承知おき下さいませ。

☆1年前期を終えた時点での歴文生の感想

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入学後4ヵ月を経た歴文生のみなさんに対して、「歴文にはいってみていかがですか?」という内容のアンケートを取り、その結果をブログにアップしています。受験生のみなさんにとっては、歴史文化学科に入学した場合の近い未来像になるかもしれません!?

2015年度入学生の場合2014年度入学生の場合2013年度入学生の場合

☆新入生歓迎イベント!

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毎年4月には、歴文へ入学する新入生の歓迎イベントが開かれています。上級生に単位履修のコツを質問する機会や、友だちをつくるきっかけが数多く準備されていますよ!新入生にスムースに歴文での学びをスタートしてほしいという思いで先輩たちが企画するイベントです。

2016年度 /2015年度 12/2014年度 /2013年度 /2012年度 12

☆ゼミ旅行やゼミイベント

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歴史文化学科では、1年前期に、少人数(6~7名)の基礎ゼミに所属し、大学での学問の進め方について学びます。1・2年次は、様々な分野の授業や各種フィールドワークに積極的に参加して知識と経験を貯えつつ、自分が深めたい分野や卒論で書きたいテーマを絞り込んでいく時間です。そして3年次からはいよいよゼミに所属し、より専門的な研究を進めていくことになります。

歴史文化学科ではゼミの人数制限やセレクションなどは設けておりません。先生と相談しながら,自分にぴったりとあったゼミをみつけ、自由にゼミ選択することができます。

また「手で考え、足で見る」歴史文化学科は、各種研修旅行がとても盛んにおこなわれています!毎年夏休みには半数以上のゼミが、国内各地に,そして海外へとゼミ旅行にでかけます。また学術報告をおこなったり、独自の勉強会を開催するゼミもあります。ここにあげたゼミイベント報告はそのほんの一部です。

日本近世史ゼミ(野口ゼミ) 2014年度 /2013年度 

日本近現代史ゼミ(松田ゼミ) 2015年度 /2014年度 /2013年度 /2012年度 /2011年度 1

西洋史ゼミ(小野寺ゼミ) 

民俗・芸能史ゼミ(大谷津ゼミ) 

地理研修旅行(田畑先生企画) 2014年度 /2013年度 /2012年度 1/2011年度 

日本考古学ゼミ(山本ゼミ) 

アジア考古学ゼミ(菊池ゼミ) 

☆フィールドワーク

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民俗学の聞き取り調査、考古学の発掘、文化財保存修復、そして歴史文書整理。いずれの活動も自ら学ぶだけではなく、調査結果・研究成果を社会へと発信しています。そうしたフィールドワークの一部をピックアップいたしました。 椎葉巡見や諏訪原遺跡発掘調査などの多くのフィールドワークは1年次から参加可能です。発掘や聞き取り調査などを体験し、そのうえで自分の専門分野を定めていくことができます。

椎葉巡見(2015年度 /2014年度 123/2013年度 123/2012年度 12

諏訪原遺跡発掘調査(2015年度 /2014年度 /2013年度 /2012年度 

文化財保存修復(陸前高田市) 

被団協文書整理会 

安積得也文書整理会 

野毛古墳祭りへの協力 

世田谷歴史散歩 

野田市お札調査 

☆学寮研修

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3泊4日の学寮研修は昭和女子大学のオリジナル行事です。バスハイク、プレゼン大会、交歓スポーツ大会、そしてなによりも友だちと語らうのんびりとした時間がそこにあります。

望秀海浜学寮(2015年度 /2014年度 /2013年度 1234567891011121314/2011年度 1234/2010年度 1234

東明学林(2015年度 /2014年度 123/2012年度 12345/2011年度 1/2010年度 1

4年生学寮(希望者のみ参加)(2015年度 /2014年度 /2013年度 123/2012年度 1/2010年度 12

☆グローバルな活動

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歴史文化学科はグローバルに考える力を磨く各種プログラムも充実!

2015年()、2014年度()、2013年度()、2012年度(1

☆秋桜祭

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昭和女子大学の学園祭・秋桜祭は毎年11月上旬に開催されます。その様子もちょっとのぞきみ。

2015年度()/2014年度()/2013年度()/2012年度()/2011年度(

☆歴文らじお

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歴文生へのインタビューを音声ファイルでアップいたしました。

ネットでオープンキャンパス~歴文1年生に話を聞く~ その1その2その3その4

歴文の学びで授業と授業がつながる喜び! 記事

☆その他ピックアップ記事!

その他、数ある記事のなかから注目記事をピックアップしてみました。

「ネットでオープンキャンパス!~昭和女子の歴文ってどんな学科?~」 

「歴文から観光業界を目指す!」 

「歴文生からミステリーハンター誕生!」 

「歴文生がチャンピオンに?」 

「Happy Halloween!」 

以上、「もっと歴文を知るために~お役立ちリンク集~」でした!


新任の鶴岡明美先生に突撃インタビュー!!

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こんにちは。歴史文化学科4年野沢春佳です。新年度が始まりましたね。1年生の皆さん、ご入学おめでとうございます。

今回は、今年度歴史文化学科に赴任された鶴岡明美先生の下を訪れ、突撃インタビューしました。

――鶴岡先生が単独でご担当になる授業を教えて下さい。

前期は演習の他日本美術史基礎と日本美術史概論を担当します。日本美術とか日本文化って日本に住んでいて触れているようで触れていないものだと思うんです。高校までの授業でも歴史の政治面が中心で、文化は軽く触れて終わりという傾向があるでしょう。でも、皆さんにはぜひ一度は知ってもらいたい。勉強してもらいたいです。授業の中でも、専門的なことがらに加え、背景にある歴史や文化にも満遍なく触れていくようにしています。ぜひとっていただきたいですね。

――第一回の授業を終えての学生の印象はいかがでしたか?

今年度は一年生のクラスアドバイザーも受け持っているのですが、真面目な学生が多いですね。きちんとした礼儀正しい方が多いという印象です。協力的でコメントもたくさんいただけるのでうれしいです。

――鶴岡先生のご専門は日本美術史ですよね。

そうですね。特に江戸時代後期から幕末の作品に興味を持って研究・調査をしています。

――ぜひ詳しく教えてください。

最初私が興味を持ったのは、実景(実際に存在する景色)を題材にした作品です。実景というのは、今はスケッチなど当たり前に使われる表現ですね。日本が開国して伝わった技法だと考えられているんですが、江戸中期にはもうすでに実景の作品が描かれているんですよ。それが面白いなぁと、谷文晁という画家の作品を中心に学位論文を書きました。

――最初ですか?その後どのようにご研究は広がっていらっしゃるのですか?

実景については一区切りついたところで…次に別のテーマを探しました。そこで取り上げたのは黄表紙の挿絵です。黄表紙というと戯作という文学のジャンルで、挿絵を取り上げた研究はあまり盛んではないんですよ。そこで挿絵の中に描かれている看板や屏風などの文言に焦点を当てて研究してみようと。

――どうして、戯作を取り上げようと思ったんですか?

黄表紙は当時のトレンドブックのような立ち位置でもあった大衆向けの読み物のです。文学作品としての研究はたくさんされているのですが、挿絵はほとんど触れられません。でも、挿絵の中にもユーモアやパロディがたくさん盛り込まれてるんですよ。全ての作品を通して、様々な点から研究ができるのではないかと、今も試行錯誤をして研究をすすめています。

――(実際に黄表紙の作品を説明していただいて)一ページの中で文章と挿絵が密接に関わっているんですね。挿絵というと児童文学とか絵本をイメージしてしまうけど全然違いますね…!

でしょう?今の学生さんはイラストとテキストの融合を抵抗なく受け入れられる世代になってきてますからね。興味持ってくれるんじゃないかな。

――他にも何か取り組んでいらっしゃるんですか?

実は今足立区立郷土博物館の文化財調査にも参加させていただいてるんです。これまでの調査の成果を「美と知性の宝庫足立―酒井抱一・谷文晁とその弟子たち―」という展覧会で紹介しています。5月22日まで開催しています。最初に取り上げた谷文晁の作品やお弟子さんの作品が足立区にはたくさん残されていて…。これから調べを進めることでもっと新しいことが分かっていくかも…と期待してるんです。

――ちなみに、お休みには何をされてるんですか?

私趣味がないんですよ(笑)。もともと絵をみることが趣味で、美術館や博物館を訪れていたんですけど、でもそれ仕事になっちゃったから(笑)面白そうな展覧会があれば京都でも秋田でも、日帰りでどこへでも行っちゃいますね

――旅行お好きなんですか?

「どこかへ行ったりするのは好きですね。乗り物だと鉄道が好きです。」

――鉄道ですか!?

飛行機より電車派です。青函トンネルとかすごいんですよ。本州と北海道だと景色が全く違うんです。そういう景色がすこしずつ変化していくことが分かるのがすごくいいんです。鉄道旅行の醍醐味ですね!

――では、最後に学生に一言お願いします。

まだまだ分からないことがあるので、助けてもらいたい気持ちでいっぱいです。どうぞよろしくお願いします。

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「研究のことになると熱く語ってしまうんです」と鶴岡先生。とても楽しい時間を過ごさせていただきました!ご協力ありがとうございました!

すべりどめ

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エジプト学を専門にしている吉成です。

以前、オープンキャンパスで手伝いの学生さん達と話した時に「すべりどめ」という言葉の使い方が違うことに気がつきました。われわれが受験生の時代には、「受験の際、目的の学校を失敗した時の用意に、別の学校を受験しておくこと(新明解国語辞典第三版)」ということで、その場合の別の大学とはかなりの確率で合格できる大学という意識で受験したと思います。その結果すべりどめの大学に入学したときには、ここは自分の居るべきところではない、という様な意識になったと思います。ところが、今の学生さん達の「すべりどめ」は自分の偏差値に合った大学、自分の現実の実力に最も合った大学ということで、本命は自分の偏差値の2ランクアップの大学という認識ということだと教えられました。

こうした認識が生まれた原因としては、18才人口の減少、受験者数が募集人数とほぼ同じで、高望みしなければ誰もが大学に入学できるという状況になっていることがあるのでしょう。

こうなるとわれわれの感覚では、すべりどめが自分に最も合った大学ということの様に思えて、何とも不思議な気分になりました。ということは、昭和女子大学をすべりどめで受験した生徒さん達は、うちの大学に最もふさわしい実力の持ち主達であるということになるのでしょう。その人達の意識が別の本命の大学に向いているとしたら、こんなにつまらないことは無いと感じます。

私は常々、大学入試はミュージカルのオーディションの様なものと考えて来ました。そのアーティストがこの演目にマッチしているかどうかを判断するのがオーディションならば、昭和の学風・教育方針・雰囲気に合う受験生を取り込むのが入試ということではないか、昭和女子大に来る学生はそういう条件に合った感性や感覚を持った人達であって欲しいというのが私の考え方です。

学生さん達が望むもの、大学から提供できるもの、それがピッタリと合えば、お互いハッピーな気分で4年間を過ごすことができると思います。偏差値だけで大学を選ぶのではなく、自分の感性を大切にして、それが最大限に生かせる大学を選んでもらいたいと思います。

昭和女子大は真面目な大学だと思います。そういう方向で努力ができる人にはふさわしい場が提供されていると思います。自分を信じ、最大限の努力ができる人を待っています。

『れきマガ‐Rekibun Magazine-』編集部始動!

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歴文と歴文生の「いま」をみなさまにお届けする情報マガジン『れきマガ‐Rekibun Magazine-』。

歴文生スタッフの力で1年に1冊のペースで刊行してきました。すでに7冊が既刊となっています。

今年度は1年生スタッフ2名と上級生の新規スタッフも加えて、昨年よりもさらににぎやかに8号の企画がスタートしています!今日は今年の「特集ページ」のテーマについて話し合い、そしてバックナンバーを検討して、 今までの企画の中で面白かったものをもう一度掘り返す検討をおこないました。

歴文生のみなさまには、今後、原稿執筆などをお願いすることもあると思います。みなさまに楽しく読んでいただける誌面を目指しますので、どうぞご協力をお願いします。

新規スタッフもまだまだ募集中です(特に1年生)。ご興味のある方は助手さんか顧問の松田忍までお問い合わせ下さいませ。編集長の歴文3年生との連絡を取り持ちます。

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JĀTAKA(Myanmar) 調査旅行

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 JĀTAKAジャータカをご存じでしょうか。JĀTAKAジャータカはパーリ語で書かれた南方上座部の経藏に含まれるテキストで、二十二編547話から成り、漢訳などの翻訳も多くいろいろな国々に伝搬し影響を与えました。仏教は紀元前後ころ、大乗仏教の興起によって大きく発展するのですが、その大乗仏教興起の条件として仏伝文学、仏塔崇拝、部派仏教の教理が考えられます。ここでは仏伝文学について考えてみます。大乗仏教の興隆には仏伝文学が大きく関わっていたのですが、これには各地に残る部族の説話と釈尊の前生譚の説話を繋げて大乗仏教が民衆に近づいていったと考えられます。

大乗仏教は利他の考え方に重きを置く思想ですが、その為に菩薩思想が発生し自己を犠牲にして他を利すると言う考え方が基本に置かれています。その発展過程の中で盛んにJĀTAKAジャータカが用いられました。JĀTAKAジャータカというのは釈迦の前世の善行を記した説話で現在物語、前世物語、連結の3部から成る話で、前世物語が中心です。釈迦の成仏が偉大であるほど、前世における修行も偉大であったに相違ないとするものです。成仏の為の修行を組織的に完成させ、土地の説話と絡ませて広めた、これがJĀTAKAジャータカです。その修行は六波羅蜜と呼ばれ、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つの修行があり、その中でも特に布施と忍辱が重んじられました。このJĀTAKAジャータカの話はインドは勿論、ミャンマー、インドネシア、中央アジア、中国、日本など広く分布しています。

今回は、2016年3月にミャンマーで行ったJĀTAKAジャータカの調査旅行について述べます。ミャンマーは上座仏教の国で、国民は仏教に対して大変熱心な信仰を持っており老若男女、寺院はいつも信者で一杯です。また寺院に対して喜捨をする人も多く、それによって在家信者は功徳を積んでいます。仏教への信仰により社会全体はある種の安定を保っているように見えます。折しも軍政から民主政への移行期ということもあり、国全体は明るい希望を持っているように感じられました。

3月末のミャンマーの気候は、暑期に当たりだんだんと暑くなりかける頃です。事実、日本を出発するときの気温は6度、ヤンゴンは36度、帰国してまた6度、と気温差30度はかなり過酷でした。

ミャンマーにスリランカから仏教が伝わったのは12世紀ですが、その前から土着神としてナッ神を信仰していました。バガンから南東に50㎞行ったポッパ山はその精霊が棲む聖なる山として知られています。筆者も石段を何百段も登り、ポッパ山に登ったことがあります。

ヤンゴンからすぐバガンやマンダレーへ飛びました。バガンはビルマ族によって1044年に最初の統一王朝が成立した土地で、エーヤワディー河の両岸に大小幾千もの仏塔や寺院が林立しているところです。そのバガンにはJĀTAKAジャータカを残す多くの寺院があります。ミャンマーのJĀTAKAジャータカはテラコッタやその上から釉薬をかけたもの、或いは木彫りのものもあります。

林立する寺院群

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西ペッレイ仏塔

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シャーマJĀTAKA

シャーマJĀTAKAはこのような話です。

シャーマの父母は毒蛇に咬まれて失明します。シャーマは山で多くの種果を採って父母に孝養を尽くします。両親が喉が渇いたというので、彼は鹿革の衣を被って水汲みに出かけますが、鹿狩りに来ていた迦夷国の王が射た矢に当たり死にます。事の真相を知った両親は嘆き悲しみます。そこで天帝釈は彼の父母に対する孝養に感じ入り、シャーマは蘇生し父母も開眼するという話です。

 

アーナンダ寺院は、Baganバガンを代表する寺院ですから写真を載せておきます。

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アーナンダ寺院

マンダレーの南方のザガイという街のティロカグル寺院にはこのように美しい彩色の仏教絵画が残されています。

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仏足石

 

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マンダレーのShwenandawシュエナンドー寺院には、19世紀建立の珍しい木彫りのジャータカJĀTAKAもあります。

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Shwenandawシュエナンドー寺院外観

 

早田先生

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ヴェッサンタラ王子は大変布施が好きでしたが、バラモンに請われるままに奥さんやかわいい子供まで与えるという話です。

JĀTAKAジャータカには、このように大乗仏教に支えられた菩薩思想が表現されています。

<早田記>

先週は「OG週」でした!

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こんにちは、松田です。GWもあけた先週はなにかとゼミOGとご縁がある週でした。

月曜日にはゼミOG 1期生から嬉しい嬉しいご結婚のご報告が届きました。本当におめでとう!

金曜日にはゼミOG 2期生から三軒茶屋にいくのでお昼食べませんかとのお誘い。社会人なのでちょっとオシャレな店でもと思いきや、学食「ソフィア」で食べたいとのこと笑 (あ、学食もドラマの撮影で使われるようなオシャレなところですが笑) 今後のキャリアのことなどいろいろとお話いたしました。そして当時のゼミ生を集めての同窓会を開くことを約して別れました。

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さらに土曜日はゼミOG 3期生5人と一緒に新宿でお食事会。それぞれ悩みはあれど、メンバーが集まれば、「あの時」のノリになるのがいいね。まぁ、たいがい下らないわけなんだけども笑 どのOGも必ずいうことですが、思う存分歴史トークしたり、歴史旅行したりする仲間がいた歴文生時代はほんとうに貴重だったということ。

卒業して2~3年経つと、そろそろそれぞれの職場でのステップアップの道も見えてきて、それに乗っかるのか否かのようなとても大事な悩みも出てくる頃なんだなぁと思いました。就職活動をしているときにはステップアップすること前提で考えているわけですが、いざその道が目の前にくると、自分はどんな風に働いていきたいのかをもう一度しっかり考えなければならない。それぞれの道を歩みだしたみなさんにあまり言えることもないのですが、いろいろな道を選ぶことのできる立ち位置にいることを重荷ではなく幸福と捉えて、勇気を持って人生を選び取っていって欲しいなと思います。いつもいうことですが、幸あれ!幸あれ!

 

世田谷歴史散歩第1弾~世田谷線沿線を歩く~

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こんにちは、松田忍(日本近現代史担当)です。

今年も1年生を引率して世田谷歴史散歩をおこないました。その第1回は「世田谷線沿線を歩く」です。当日は快晴。汗ばむほどの天気でした。参加者は歴文1年生12名、助手1名に松田であわせて14名です。

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散歩のはじめはこのブログでもお馴染み。彦根藩井伊家の菩提寺である豪徳寺です。井伊直孝以来の歴代彦根藩主の墓があります。もちろん有名な井伊直弼の墓や桜田門外の変に殉じた彦根藩士家臣の墓もあります。

一般的にはいわゆる「招き猫のお寺」ですね。好奇心旺盛な1年生からは、お寺に関する様々な知識の質問攻めにあいました笑 いや、さすがに分からないから!関口先生や早田先生、阿部美香先生に聞いてみてください!!

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今回は学生のみなさんが撮った写真も募集してみました。どうぞ~♪ 楽しそうです!

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そして世田谷城跡を経て、世田谷区役所へ。

もう何度も訪れている世田谷沿線の散歩コースではありますが、今回はじめて訪れ、学生たちに一番見せたかったのは、1950年代に前川國男が設計した世田谷区役所と区民会館でした。1959年のモダニズム建築であります。前川國男は、学生や研究者が何度もお世話になる国会図書館の本館を設計した建築家でありますね。

昨年夏におこなわれた昭和女子大学近代文化研究所所員勉強会にて、鰺坂徹先生(鹿児島大学)の「“世田谷区役所・区民会館”の歴史的意義と再生の可能性」のご講演を伺って以来、庁舎立て替え問題がおこっている世田谷区役所のことはずっと気になっておりました。

耐震・耐震機能、冷暖房、駐車場の広さといった利便性、あるいは建築費用を考えれば、保存は難しいのかも分かりません。しかし、戦後における市民のあり方を形にして残した区庁舎、区民会館のモノとしての迫力を実際に目にすると、この建築が失われる重さをヒシヒシと感じました。

先日も、とある先生から、小学校に残されている明治期以降の日誌がどんどん廃棄されているとの話を伺いました。歴史的な史料やモノを保存するためのコストを払うか否かは、もちろん最終的にはそれに関わる人びとの判断によります。しかし歴史に関わる我々としては、一度失われると二度と元には戻らない実物の価値を伝え続けていかねばならないとの思いを新たにしました。

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さらに松陰神社に。

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松陰先生と記念撮影。今回の世田谷歴史散歩は、「幕末コース」と「古墳コース」の2回おこなうことにしたのですが、さすが「幕末コース」に参加したみなさま。松陰先生との対面には盛りあがっていました!

終始こんな感じでお散歩。結構日焼けしてしまいました……522世田谷歴史散歩A_2019_R

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お休みにもかかわらず参加して下さった助手のOさん(左)と学生。とても暑かったので、途中でみんなでソフトクリーム食べました。

散歩の締めとして、近世に彦根藩世田谷領を治めた大場家の代官屋敷と同所にある世田谷郷土資料館を見学します。学生たちには言いわすれましたが、世田谷郷土資料館の建物も前川國男の作品ですね!522世田谷歴史散歩A_8838_R

17時からは大学近くのお好み焼き屋さんで夕食会。トークがとても盛りあがり、楽しかったです。 522世田谷歴史散歩A_9718_RDSC04220_RDSC04217_R522世田谷歴史散歩A_4543_R

参加した学生からは「自分たちの大学がある世田谷のことを知ることが出来て良かった」「身近なところにも歴史は残っていることを知れて良かった」「今回の散歩で新しい友達ができました」などの嬉しい感想をいただきました。私自身も、これまで名前と顔が一致していなかった学生を何人か認識することが出来て、とても良かったです。

来週は多摩川沿いの古墳群を、古墳時代の研究者である小泉先生の解説つきで散歩します。きっと楽しくなるよ!まだ参加は受け付けておりますので、希望者は松田まで!

それでは!

世田谷歴史散歩第2弾~多摩川沿いの古墳群を歩く~

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こんにちは、日本近現代史担当の松田です。

5月28日に第2回世田谷歴史散歩をおこないました。昨年度も大変好評だった「多摩川沿いの古墳群を歩く」コースです。少し曇り気味でしたが、その分涼しく気持ちのいい散歩日和でした。全行程約3時間半を学生8名、助手1名、小泉先生と松田の計11名でのんびり散歩しました。

出発は東急東横線の多摩川駅から。

まずは浅間神社古墳の断面をみたあと、多摩川台公園にはいり、全長100m以上ある亀甲山古墳の解説を小泉先生から受けます。

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そして大田区の施設「古墳展示室」に向かいます。小さな資料館なのですが、学生たちから小泉先生への質問が次々とでて、30分ほどかけてじっくり見学しました。

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古墳群は大田区から世田谷区にかけての住宅地のなかに点在しています。こんな感じで散歩しました。

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住宅地に溶け込み消滅した古墳の話をうかがったり、八幡塚古墳を見学したり……。

そして狐塚古墳の墳丘上で記念撮影をパシャリ!このあたりの古墳群の発掘調査には昭和女子大学の学生も随分参加しているとのこと。すごい!

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散歩コースも終盤に向かいます。等々力不動はちょうど茅の輪の時期でした。崖の上にある古墳を訪れるのにはかなり激しいアップダウンがあり、バテてきたので、ここで糖分補給!

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等々力不動から等々力渓谷に入ります。いつ来ても気持ちいいですね!世田谷区にこんなところあったんだ~と驚きの声。等々力渓谷にも横穴古墳とよばれる自然の地形を生かしたお墓があるんですよ。

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そして散歩の最終目的地である野毛大塚古墳へ。

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野毛大塚古墳とのご対面。20160528-DSC04286_R

墳丘を登ります。結構急です!

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発掘当時の石室が陶板に焼き付けられて、学べるようになっています。小泉先生から出土物に関する詳細な解説を受けます。

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東京の多くの古墳が都市に取り込まれて消滅したり原型が分からなくなるなかで、野毛大塚古墳周辺はゴルフ場になっていたが故に、そのまま残ったとのことです。ホタテ貝型の前方部(?)は、ゴルフ場時代にはティーグラウンドになっていたそうでして、確かにティーショット打つには最適の形をしているなとたいへん面白く思いました。

その後、世田谷区が多額の費用を掛けて、公園として整備されました。この日も、たくさんの子供たちが遊んでいまして、生活の中に溶け込んでいるなぁという印象です。

ゴルフのティーグラウンドとして使用されたという前方部

ゴルフのティーグラウンドとして使用されたという前方部(墳丘上から撮影)

さて、これにて散歩は終了。大井町線の等々力駅にいきまして、参加者全員で打ち上げ&懇親の夕食会。お好み焼きです。

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「円墳型のお好み焼きを作ろう!」から発展して、前方後円墳型の古墳焼き。前方部が海鮮玉、後円部が牛すじ玉で構成されています笑

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――小泉先生!この古墳焼は何世紀の古墳ですか?

小泉先生「6世紀ですね。前方部がかなり広がっていることから、古墳時代のあとのほうになって作られた古墳であると推測できます」

一同「おおー!」

小泉先生「大阪府高槻市にある今城塚古墳に似てますね。」

一同「おおー!」

のちほど今城塚古墳と照合。確かに前方部の広がる角度がそっくりです!

今城塚古墳(「よみがえる大王墓・今城塚古墳」森田克行著、2011年、新泉社)

今城塚古墳(「よみがえる大王墓・今城塚古墳」森田克行著、2011年、新泉社)

その後は、古墳型をしたスイーツの話題などで盛りあがりました。そのあたりは女子大っぽい!?埴輪にしても古墳にしてもこの時代の造形はどことなく可愛いですよね。みなさんも「古墳 お菓子」で検索してみてください。

なお、ひっくり返すときに古墳は大崩壊しました笑 もちろん全部おいしく頂きました!

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クリックで動きます

最後に【参加学生の声】を載せておきます。

今日は本当にありがとうございました!東京にこんな所があるなんて今まで知らなかったので、冒険気分で楽しめました◎ あと、歴文ならではのトークをできたのが個人的にすごく良かったです。

今日はありがとうございました!都内にある古墳、今はもう無くなっているのも多かったのですが一つ一つ丁寧な解説分かりやすかったです。とても貴重な経験になりました。次の機会があったらまた是非参加したいです。ソフトクリーム、お好み焼きご馳走様でした!

今日の古墳散歩とっても楽しかったです!実際にその場に行くことで新たな発見もできましたし、先生の説明もあってとても勉強になりました( •̀ω•́ )✧ アイスとお好み焼きご馳走様でした♪古墳焼破壊犯は私です←(`・ω・)ゞ ペーイっていきましたもんね…精進します笑

今日はとても楽しかったです。今日はお好み焼きとソフトクリームごちそうさまでした!ありがとうございました。

とても楽しく歴史を学び、交流を深める散歩となりました。6月は休みもなく、そろそろレポートや期末試験の準備などで忙しくなってくる時期かとは思いますが、適度にリフレッシュしながら、頑張っていきましょう!


曽我の傘祭りに行ってきました!①曽我物について

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お久しぶりです!修士2年の青木です。

すっかりご無沙汰してしまいまして、歴文ブログを書かせていただくのもほぼ1年ぶりです。

 

さて、22日の日曜日に神奈川は小田原、下曽我で開催された「曽我の傘焼きまつり」に行ってきました。

今年で59回目を迎えるこのお祭りは、かながわのまつり五〇選に数えられ、

また伝統芸能である能や歌舞伎との関係も深い特別なものです。

 

簡単に説明すると・・・

日本三代仇討ちという、仇討ちの中でも特に有名なエピソードがあります。

 

・曽我兄弟の仇討ち

・伊賀越えの仇討ち

・赤穂浪士の仇討ち(忠臣蔵)

 

どれも能、歌舞伎、書物に作品が残るもので、そのうち1番目の「曽我兄弟の仇討ち」がこのお祭りの由来です。

鎌倉時代(1193年)、父の仇である工藤祐経を、曽我十郎(兄)、五郎(弟)の2人が追いかけ討ち取ったというのが簡単な流れですが、その道中、明かり代わりに傘を燃やしたことが伝えられ、祭りとして語り伝えられてきたそうです。(兄弟のお墓もこの地にあると伝えられています)

なので、回数こそ59回目となっていますが、実際数えてみるとその歴史は800年以上・・・気が遠くなりますね。

ああ

とはいえ、現代人が忠臣蔵で涙するように、仇討ち・・・というか、

命をかけて約束を果たすことに日本人は弱い、めっぽう弱いのです(青木もです)。

 

そのため書物「曽我物語」にまとめられてから、

能「小袖曽我」、幸若舞(こうわかまい)(信長が本能寺で舞ってるアレです)「和田宴」、

人形浄瑠璃「夜討曽我」、歌舞伎「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」・・・と、とにかくテーマに取り上げられて、戦前までなら知らない人はおそらくいないだろうってくらい人気のエピソードなんです。

(特に歌舞伎だと毎年お正月には曽我兄弟の話:曽我物を公演しないとダメ!なんてルールができるほど好まれてました・・・)

 

今の人も知らないうちに見ていたりする曽我物。

歌舞伎作品「助六由縁江戸桜」(市川海老蔵さんの十八番)

紫色のハチマキに大きな傘に赤い隈取りの目玉をギョロリな、あの助六さん。

実は曽我五郎・・・って設定があるんですよ。

あとは演劇・放送部の人が何回も舌を噛んだ「外郎売」もそうですね。

そんな風に隠し設定(?)みたいなのも探してみると面白いです。

 

うん、語りすぎましたね!

一端ここで終わります。

続きますよ!

画像出典:早稲田大学演劇博物館デジタル・アーカイブ・コレクション

http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/

 

 

曽我の傘祭りに行ってきました!②そして・・・

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続いて青木です。
前回は曽我兄弟の話をしていたら長くなりました。

今回はいよいよレポートに移っていきますよ!

傘焼きまつりは2日間に渡って行われます。
今年は21、22日でした。

1日目には浮世絵の展示や曽我兄弟の舞踊や芝居、
2日目には曽我兄弟らの団体行列や子供相撲、傘焼き神事などが行われます。
団体行列には歌舞伎俳優の方も参加され、華やかな様子になるとのこと。

いち

・・・まつり2日目の朝9時前に会場に着いた青木と、同じく院生の三野さん。
まつりの式典は10時からなので大分早いです。

さてどうしよう・・・

に

あ、あれ?三野さん何してるの・・・!?
お、おや、青木も・・・

さん

何故か衣装が変わったぞ・・・!笑

同じく参加してくれた学部生の3人も、揃いのハッピに身を包んでます。

そうなんです!

今回ありがたいことにお声掛けをいただき団体行列に参加することになった院生2人は、
それぞれ兄十郎の恋人、虎御前(とらごぜん)、
弟五郎の恋人、化粧坂の少将(けわいざかのしょうしょう)になったのでした。

ちなみに学部の3人が着ているハッピは主催の曽我兄弟遺跡保存会の方々が着られているもので、
背中に十郎の千鳥、五郎の蝶と、兄弟を表す図柄が入っています。

よんご

とてもかっこいいです!歌舞伎ファンとしてはこっちも着たかった…!

ろく

こちらが今年の曽我兄弟役のお二人。今年で2年目だそうです。
千鳥と蝶で、どちらがどちらかわかりますか?

そんなこんなで会場には行列に参加するため時代がかった衣装を着た方が入り乱れ、
町の中にも幟や提灯の代わりに傘が吊るされとても賑やかです。

なな

駅の近くの梅の里センターで式典がはじまると、
小田原市の市長、議員、名士の方々など、そうそうたる方々の挨拶が続きます。
このまつりの歴史と、果たしてきた地域で人々を結びつける役割に大きさを感じます。
最近では文化庁が推進する「日本遺産(Japan Heritage)」として、観光との連携も見込まれているとか。

さて、青木と三野さんは華やかさ担当(笑)なので、舞台の後ろに座って背景のようになってました。
すごい方々の背中しか見えない・・・。
でも、安心してください!後輩ちゃんが正面の写真を取ってくれましたよ!

はち

歌舞伎俳優の片岡孝太郎さんです!
どうして歌舞伎俳優さんが?!・・・と思われる人もいるかもしれません。
①でもお話したように、曽我兄弟のお話は能や歌舞伎ととても縁が深いのです。
そのため、毎年歌舞伎俳優の方がまつりに参加されているとのこと。

昨年は中村雀右衛門(前:芝雀)さんが見えたそうです。

今回、孝太郎さんは挨拶に加えて、歌舞伎作品「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」の一場面、
十郎と五郎が仇である工藤祐経と対峙し再開の約束をするところを朗読してくださいました。
ひとりで何役も演じながら、それぞれの人物の輪郭、性格がはっきりと浮かび、
思わず聞きほれてしまいました。
孝太郎さんは女形の俳優さんですから、立役(男役のことです)を演じられているのも珍しく、貴重な体験でした。

他にも、相模人形芝居の下中座の林先生と座員のみなさん、地元旭丘高校の相撲部の方などがいらしていました。

きゅう

相撲部、迫力満点です。

その後、写真撮影を挟んで、いよいよ武者行列です!

じゅう

地元小学校のマーチングバンドの演奏に合わせて進みます。
隣の人たちが道の端々で見物されていて、小さな子は手を振ってくれました。
地方局のテレビカメラもちらほら。

駅まで着くと、写真撮影大会を挟んで撒き銭、撒き餅です。
曽我兄弟らに扮した私達、来賓、相撲部の方、孝太郎さんでお金やお餅(に見立てたお菓子)を撒きます。

じゅういち

それがこちら。

縁起物なので、ビニール袋などを持った人たちがひとつでも取ろうと待ち構えてます。
心なしか、相撲部、孝太郎さんの人が多いような・・・
そうですよね、わかります。縁起を担ぎたいですものね。

じゅうに

準備は万端、さあ投げますよ!
着物だということも淑やかな女性役であることも半分忘れて、肩の限りに投げました。
割と後ろの方まで投げられたかも・・・。

撒き銭、撒き餅が終わり、午後になると、傘焼き神事が行われます。

じゅうさんじゅうよん

神主さんが参加者を修祓(お祓い)し、浄めてから、
様々な願いが祈願された傘を読み上げ、それらが神に聞き届けられるようにお祈りします。
そして、まとめられた傘に火がつけられ、燃やされるのです。
地域の安全や熊本地震の応援、家内安全や芝居の成就など、
人々の願いを天に届けるかのように、勢いよく傘が燃えていました。

傘が燃え尽き、神事は終了。
このあとの居合道の抜刀隊の演武、子供相撲、2度目の撒き銭、撒き餅が行なわれまつりは終了。

私達は時間の都合で最後まで参加はできませんでしたが、初めての経験ばかりで感動し、帰りの電車を待つ間、おまつりについてずっと話していました。

今回参加した学生から感想を聞きました。
(名前は伏せてます)

「貴重な体験をさせていただきありがとうございました
今回初めて参加する側でお祭りに参上したのでとても新鮮でした
県内でもこのようなお祭りがあることを初めて知ることができ、地元の方ともお話をして色々なことを教えていただきました
また機会があれば参加したいです・・・!」

「武者行列に参加できたことがとても嬉しかったです!
衣装も間近で見れたし、生の歌舞伎俳優さんともお話することができて本当に貴重な経験となりました。
いつもは遊ぶだけのお祭に学ぶ姿勢でいったので、楽しく地域のひとと交流しながら知識を得ることができました。ありがとうございました!」

「すごい楽しかったです!
いろんな方とお話できて、いい経験になりました
あと、先輩方が美人でした!」

「住民の方々が地域の歴史に興味を持っており、まつりに参加することで地域を盛り上げようとしていることが伝わってきました。
傘焼きの神事はもちろん、行列の衣装や撒き銭、撒き餅の行事など、伝統をしっかりと守り続けている祭事だと感じ、今後も世代を越えて受け継いでいってほしいと思いました」

学生の中には、小田原に住んでいる人もいたので、地元にこんなお祭りがあることを知って新鮮さを覚えたようです。
私自身、このような伝統のある祭事、しかもお盆やお正月といった全国的なものではなく、地域独自のいわれがあるものに対して、
観る側ではなく、主催する側により近い立場で参加することができ、とても勉強になりました。
特に、こうした文化を継承する、観光資源にするといった「守りつつ、発展させる」といった問題について、考える機会を得たことはとても貴重だと感じます。
そして、その場で初対面だったにも関わらず、武者行列に加えてくださり優しい言葉をかけていただけて、はじめは緊張していましたが、いつの間にか誰よりもまつりを楽しんでいました。

オープンキャンパス情報☆Part1☆

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平成28年度のオープンキャンパス日程

詳細は決まり次第ご連絡いたします。

6/19(日) 10:00~15:00
7/24(日)10:00~15:00
8/20(土)10:00~15:00
8/21(日)10:00~15:00
10/22(土)13:00~16:00
12/10(土)13:00~16:30
3/25(土)10:00~14:00

6/19(日)は松田先生(日本近現代史)
7/24(日)は菊池先生(アジア考古学)
8/20(土)は鶴岡先生(日本美術史)
8/21(日)は木下先生(西洋美術史)
による体験授業も開催予定ですhappy02

diamondみなさんのお越しをお待ちしておりますdiamond

花園神社例大祭に行ってきました!

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こんにちは!歴文2年の賀古です。
今年度民俗学研究会では、都内を中心にどのような形のお祭りがあるのか、見ていこうと考えています。
4月には、明治神宮春の大祭に行きました。
今回は、花園神社の例大祭に行ってきました。

花園神社は、新宿のビルが立ち並ぶ一角にあります。

いち  に

境内には、露店が並び、地元の方々で賑わっていました。
さん  よん

4日間行われる例大祭のうち、3日目の神幸祭では、2基の御神輿が町内を練り歩きます。
きらびやかな御神輿ですね♪
掛け声とともに御神輿を担ぐ様子は、とても活気がありました。
お祭りは、地元の方々によって作り上げられるものなんだなあと改めて思いました(^^)

明治神宮春の大祭では舞楽が演じられていましたが、今回の花園神社例大祭では御神輿が出てきました。
このように都内でもお祭りの形には、様々なものがあるのだと思います。
民俗学研究会では、引き続き都内を中心に様々なお祭りを見ていきたいです。

【歴文らじお】4年生に歴文の魅力を語ってもらう その1

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こんにちは!松田忍(日本近現代史担当)です。

本年度もオープンキャンパスシーズンが近づいて参りました。たくさんの受験生のみなさまに、昭和女子大学の歴史文化学科を見に来てほしいなぁということで、歴文4年生のみなさまに集まって頂きました。

今回ご協力頂いたのは日本近現代史ゼミ(松田ゼミ)の篠崎さん、泉さん、小熊さんです。どうぞ楽しんでお聞きになって下さいませ!

【01】オープニング!/みんなはオープンキャンパス来た?/篠崎さん「雰囲気を見ようと思ってきた」/オープンキャンパスはいくつ回った?/広いグラウンドで学べる/歴文はふわっとしていた/学生がフリーに話すオープンキャンパス/昭和のオープンキャンパスは素人臭い/司書資格を取りたいなと思って選んだ/みんなの取っている資格

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【02】専門はどうやって選んだ?(泉さんの場合)/ルーツ探しとしての日本近現代史/戦後の沖縄史

【03】専門はどうやって選んだ?(小熊さんの場合)/入口は新撰組/趣味としての歴史と学問としての歴史/女性史、民俗学、服飾史などを取ってみた/アメリカ留学が決め手/在米日本人の強制収容

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ここで小川さんと強瀬さんが乱入。5人+松田でお話しを続けます。

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【04】専門はどうやって選んだ?(篠崎さん)/最初は仏教文化史

歴文らじお企画まだまだ続きます!!

【歴文らじお】4年生に歴文の魅力を語ってもらう その2

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歴文らじお「4年生に歴文の魅力を語ってもらう」その2です!お楽しみ下さい。

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【05】オープンキャンパスの思い出(強瀬さん)/オープンキャンパスで質問したこと

【06】入学後、新しい興味が湧く/西洋史(小野寺先生)

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【07】学寮研修/3泊4日の共同生活/新しい人間関係をつくる場

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【08】クラス制度/クラスがあるから友達がいる/クラスアドバイザー(担任)がいるのは安心

【09】クラス制度/先生のところに相談にいける

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歴文らじおはまだ続きます...

【歴文らじお】4年生に歴文の魅力を語ってもらう その3

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歴文らじお「4年生に歴文の魅力を語ってもらう」その3です!今回はみなさんの記憶に残る授業を語ってもらいました。お楽しみ下さい。

【10】授業紹介(日本近現代史特論)

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【11】授業紹介(文献取扱技能基礎)

【12】授業紹介(文化財保存修復学基礎)

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【13】授業紹介(倫理学)

【14】授業紹介(民俗と芸能)

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【15】授業紹介(伝統文化の現場)

歴文らじお、まだまだ続きますよ~♪


【歴文らじお】4年生に歴文の魅力を語ってもらう その4

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「【歴文らじお】4年生に歴文の魅力を語ってもらう」の第4弾、最終回です。歴文生から受験生のみなさまへのメッセージどうぞお聞きになってくださいませ!

【16】受験生のみなさまへのメッセージ(小熊さん・泉さん)

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【17】受験生のみなさまへのメッセージ(小川さん)

【18】受験生のみなさまへのメッセージ(強瀬さん)

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【19】受験生のみなさまへのメッセージ(篠崎さん)

これで締めとしようと思ったのですが、松田に用事がはいって少し退席。ボイスレコーダーだけ回して、学生5名で語ってもらいました。

【20】大学をどうやって決めた?/「4年間やれそうなものは歴史しかない!」と思った/就職率も大事/資格が充実/高校の日本史の先生がとても面白かったけど、高校時代には絞りきれなかった/研修旅行などが豊富で楽しそう/いい友達できそうだったから/高校の先生のススメ

ここで松田復帰。

【21】締め!

いかがでしょうか?生の声を聞いて頂いて、イメージ伝わりましたか?

次回オープンキャンパスは6月19日(日)の10:00~15:00です!松田も体験授業をやります。皆様のご来校を心よりお待ちしております♪

かもん!歴文のポーズ。「かかってこんかい」にも見えますが笑

「カモン!歴文」のポーズ。「かかってこんかい」にも見えますが笑

オープンキャンパス情報☆Part2☆

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☆あじさい☆ デコメ絵文字 6月のオープンキャンパス☆あじさい☆ デコメ絵文字 

平成28年6月19日(日)10:00~15:00
オープンキャンパスでは皆さんの質問に、歴史文化学科の先生や学生がこたえてくれますshine
 わからないことや知りたいことをどんどん聞いてみてくださいhappy01

パステル星 デコメ絵文字 歴史文化学科ブースパステル星 デコメ絵文字 
大谷津早苗 先生(日本芸能史)
場所:80年館1階学科ブース

パステル星 デコメ絵文字 学科説明(11:15~11:30)パステル星 デコメ絵文字 
小野寺拓也 先生(西洋史)
場所:研究館2階 2L03教室

パステル星 デコメ絵文字 体験授業(11:30~12:15)パステル星 デコメ絵文字 
松田 忍 先生(日本近現代史)
タイトル:「史料解読~歴史学の基礎作業~」手紙 デコメ絵文字 
場所:研究館2階 2L03教室
授業内容:今春、歴史文化学科OGの実家から発見された犬養毅の手紙。
いつ、どこで、いかなる目的で書かれた手紙なのか。
手紙に残された痕跡を丁寧に追いながら、一緒に史料の謎を解こう。
歴史学はアクティブな学問なんですよ!

パステル星 デコメ絵文字光葉博物館展示解説(12:15~12:30)パステル星 デコメ絵文字
場所:研究館1階 光葉博物館展示室入口
春の特別展「東日本大震災の復興支援活動 ―昭和女子大学による取り組み―」
パステル星 デコメ絵文字 AO入試受験相談パステル星 デコメ絵文字 
山本暉久 先生(日本考古学)
関口靜雄 先生(仏教文化史)
武田昭子 先生(文化財保存修復学)
小野寺拓也 先生(西洋史)
松田 忍 先生(日本近現代史)

 

光葉博物館展示のご案内

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201606ポスター
歴史文化学科教員の武田昭子 先生(文化財保存修復学)が監修した展示
春の特別展「東日本大震災の復興支援活動 ―昭和女子大学による取り組み―」
6月6日(月)~7月2日(土)開催されています。
大学にお越しの際には、ぜひお立ち寄りください
パステル星 デコメ絵文字 詳しくは昭和女子大学 光葉博物館ブログパステル星 デコメ絵文字

 

 

【歴文生による授業紹介シリーズ】日本服飾史

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こんにちは、歴文1年のG.Aです。

今回は安蔵裕子先生の日本服飾史についてご紹介いたします。

DSCN9939 - コピー_R

この授業は、日本における装いの歴史を概観する授業です。服飾には人々の生き方、態度や心情が託されな

がら、様々な形や表現が生まれます。その時代的・社会的特質と変遷の様相を、美術・工芸・文献資料等を

通してたどります!

上級生が優先ですが、何年生でも履修することができます。この授業を履修している生徒はとても多いです

よ♪人気授業の一つです♪

先生が配布してくださる資料プリントとパワーポイントを主に使用していく講義型の授業です。たまに博物

館資料などの実物を見ることも出来ます。

4月の初回授業では、研究館の1階にある光葉博物館に移動して、束帯や十二単(唐衣裳)の資料などを実

際に見学し、宮中に伝承されてきた公家の装束について学びました。博物館入館料は無料です。

昭和女子大学には大変珍しい、めったに目にすることのできない日本の近代服制を物語る弁護士の法服が所

蔵されています。このように貴重な服飾資料などを実際に見ることができるのが日本服飾史の特徴です!

もちろん、その服が誕生した歴史などを大変詳しく、そしてわかりやすく解説してくださいます!!

②トリミングDSCN9950_R

↑この写真は、先ほど述べた法服の実物(昭和初年のもの)を拝見しながらの講義風景です。この服装と帽

子は、旧憲法(明治22年発布)の下で制定され、明治26年から昭和22年まで、法廷内で着用するよう

定められていたそうです。

この帽子は、衣服に比べるととても立体的で不思議な形をしています。そのデザインには、奈良時代のスタ

イルが見えてくるのです。今回の授業で、これらの資料が登場した理由をお話しすると・・・・、実はこれ

まで、飛鳥時代から奈良時代へと服の制度の変遷について学んできました。冠位十二階に始まる冠の色彩に

よって身分を表していた7世紀初頭の制度から、ついに男性の被り物が黒色でしかも漆が塗られたものとな

った頃、さらに中国の唐のスタイルが採り入れられた8世紀へ、つまりテーマは奈良時代の服制―唐の様式―

というところへ入ってきたからなのです。

帽子の上の部分の膨らみは、元来は、いわゆるちょんまげ?(結髪して持ち上げた)を包んでいた部分だっ

たことを表しています。もともとは、正方形の布を使って髻を包むように上から覆って、縛って結んだ姿を

、はじめから形作って様式化してきた被り物なのです。その形が文明開化して散切り頭になってからも引き

継がれていたのです!よく見ると、後ろに垂れる細長い2本、そして横の部分の左右に飛び出ている2本の

リボン状のものが、結んだ姿の名残としてデザインされていることが分かります。その表情が「魅力的です

ね!」と先生。

この明治時代の法服の様式を黒川真頼氏が提案したことから、東京美術学校の制服と同様の奈良調、と解釈

されてきたようですが、明治時代の法服の方は大袖で、脇下の部分がプリーツ状になっているのに対し、東

京美術学校の制服は筒袖で、脇下は縫われてなくスリット状になっています。この構造の違いは実物資料に

よってはっきりと分かり、解釈違いがあったことを知りました。服制は、着用の場や格付けによって定めら

れるものですから、当時の風俗史研究者が、両者を明らかに異なるデザインにしたのは当然だと思います。

先生は、被り物の外観は両者ともに唐に倣った奈良時代風であることから、それが衣服形態も同一視させる

ほど象徴的なものであったのかもしれない、と語っていらっしゃいました。

以上のように、服飾の構造、歴史的人物、研究上の解釈など、細かい点まで楽しく学ぶことができます。

実物を見たり博物館に行ったりして楽しく日本服飾史について学びたい方、是非この授業を履修してみてく

ださい!!とても楽しいですよ♡

特別展示「東日本大震災の復興支援活動」開催中

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こんにちは!歴史文化学科4年の坊野です。

現在光葉博物館で行われている特別展示「東日本大震災の復興支援活動~昭和女子大学での取り組み~」では、私の所属する武田ゼミの活動も紹介されています。そこで今回は、昨年参加したボランティア活動について感じたことを少し書きたいと思います。

昨年8月に参加した岩手県陸前高田市でのボランティア兼ゼミ合宿。文化財保存修復学のゼミとして、津波による被災資料の保存修復・記録、「奇跡の一本松」見学、そして最終日は平泉中尊寺を見学しました。

震災から5年がたっても、博物館内には未だ手つかずの資料が多く存在し、10名程の職員が日々修復作業を行っていました。また、市の中心部には多くの仮設住宅、津波により出来た、どこまでも続く空き地…初めて被災地に足を踏み入れた私にとって、そこは驚きの連続でした。復興は進んでいますが、まだまだ道半ばという印象。

そんな土地での修復作業は「ボランティアなんて、学生の私たちに出来ることがあるのだろうか…」と思っていた私にとって貴重な経験になりました。参加して感じたこと、それは「私たちにも出来ることがあるんだ」ということです。

昭和女子大学の学生が携わってきたボランティア活動について分かりやすく紹介している今回の特別展示。私も見学しましたが、震災から5年がたち、記憶が薄れている今だからこそ感じることもありました。保存修復した着せ替え人形や的などの玩具も展示されています。2016年7月2日(土)まで開催中です。ぜひ一度足を運んでみて下さい!

修復した被災資料の一つ

修復した被災資料の一つ

あ

「奇跡の一本松」近くにある旧ユースホステルの建物

改めて津波の恐ろしさを感じました。

岩手県は綺麗な星空が見えて涼しくて、空気と食べ物が美味しいので夏の旅行にとてもおすすめです(^o^)

綺麗ですね!

綺麗ですね!

みんなで食べたお餅の御膳。美味しかったです!

みんなで食べたお餅の御膳。美味しかったです!

花火は先生も参加してくださいました♡

花火は先生も参加してくださいました♡

 

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